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わたしを導いてくれた先生たち その4-3

わたしを導いてくれた先生たち その4-2  のつづき


わたしが通っていた予備校は、
人目につかない場所にあり、
こんぢんまりしたマイナーな施設だったのですが、
夜間には、
数人の高校生に向けた、進学塾も兼ねていました。


講師は当然ながら同じ人です。
教え上手な数学の講師が、
「刺激になるだろう。
 というか、勉強したいならどうぞ。」


ということで、我々浪人生も
しばしばお邪魔していました。


受講費は、なんと





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思い出話 | 2007-03-18(Sun) 11:24:54 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

わたしを導いてくれた先生たち その4-2

高校生の頃、ある数学先生の授業スタイルが
自分には合わず、
また、これといった努力もしなかったせいか、
数学が大の苦手になっていました。


「ある先生」といってもですね、
中学で1人(技術の先生が教えた数学は含まず)
高校でも2人しか、「数学教師」と授業で対面していません。
高校では、彼らの話す言葉の意味はほとんど理解不能で、
できない原因が教えられる側にあるとされました。
そのあまりの力説ぶりに反感を覚え、
「数学の先生は、普遍的に教えるのが下手」
だと、ごく自然に思いこんでいました。


その後、4人目の数学の先生と出会います。
予備校の40過ぎの講師です。


こんな授業だったと記憶しています。




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思い出話 | 2007-03-17(Sat) 21:38:03 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

わたしを導いてくれた先生たち その4-1

わたしは、高校の3年間
ろくに勉強もせずに、受験して、
当然のように失敗しました。


そこで、卒業後すぐに
進学予備校に通いました。


翌年、地元の国立大学に通うことを
当面の目標にしていました。
こだわった理由があるでなく、
経済的な理由による者です。


初めて受験した国立大学の1次試験。
結果は、
550点/1000点
です。
当時、この点数を引っさげて
二次試験でまともな勝負ができる大学は、
いったいどれほどあったのでしょうか。


あぁ、知らない人も多いかと思いますが、
俗に言う「共通一次」の頃は、
原則 一年に1つの国立大学しか
受験することができませんでした。
「一発勝負」であるために、
1点刻みに予想ボーダーラインに
沿って、ランクを上げ下げしたあげくに
守りに入らざるをえない。
といいますか、550点は
箸にも棒にもかからないのですが。


予備校に通い出したころ、
講師がのっけから放った言葉で、腹の周りが
「ずん」と重苦しくなりました。


わたしのブログの内容に同情したり賛同したりすることになります。↓その下に続きがあるので、マウスの操作にご注意ください。


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思い出話 | 2007-03-13(Tue) 22:45:24 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

わたしを導いてくれた先生たち その3 後編

わたしを導いてくれた先生たち その3 中編  のつづき


「自分自身のためだ、
 共通一次に向けて頑張れ!」

とおきまりの文句を言われます。


我々エンジョイハイスクール組は
3年次に、同類を集められたことで
更に楽しい毎日をすごしていました。


受験を目前に控えながらも
あまりにも成績が伸びない
しまいには、担任も口が滑り


「頼むから、
 俺のために、頑張ってくれ!」


( ゜∀゜)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \


「やだ。」


と思ったものの、
現実を目の当たりにして初めて
我が行く末を不安がるのは
発達障害の子どもたちと同じだと
今更ながら思い出します。


さて、共通一次の結果はと言うと


550点


(勘違いしないでね。1000点満点です。)


(*´艸`)ぷぷ


よくとれたものだ。
こんな点数だと、ほとんどの大学は
足きりです。


もう、2次試験などどうでもよくなってきました。
数週間、悩んだ末に決めました。


「よし、共通一次を受けよう!」
(!o!)オオ!今更ながら勉強宣言です。
そのときは、もう高校を卒業していたのですが、
何を、どうすればよいのか分からないので、
とりあえず、用事のついでに
高校の職員室を訪れました。


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思い出話 | 2007-03-11(Sun) 21:15:38 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

わたしを導いてくれた先生たち その3 中編

推敲しみたら
宿題チェックをしもらえなかったから
成績が下がったと読めるなぁ


多分宿題チェックされていても
出さなかっただろう。
自力で解決する能力が無かっただけです。
コツが分からないというか
そのレベルの高校生だっただけです。


しかしながら、
仲良しトリオでは首席でございました。
わたしが、数学のテストの点数を
恐る恐る見ると、なかなかの点数


幼なじみのAが無理矢理わたしのテストを
奪って、驚きの顔を隠せません。


「おまえ、おれの2倍もとりやがって」


すると、もう一人、Bがやってきて
その幼なじみAのテストを見て、ぎょっとして


「なぜ、こんな点数を取れる?
 俺の4倍もあるじゃん。
 えー。おまえすごい!
 さらに、倍じゃん、はらたいら並」


とリスペクトされる程の点数を
とることはできていましたよ。


さて、わたしが何点取れたかと言えば




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思い出話 | 2007-03-10(Sat) 16:15:55 | トラックバック:(0) | コメント:(1)

わたしを導いてくれた先生たち その3 前編

数学が嫌いでした。
嫌いというか、拒否。
テキストを開くのも嫌だった。


高校1年生の春、見事に数学でつまずきました。
授業スタイルや対象が
そのときの自分の能力、思考、生活と
全くあっていなかったのです。


こんな授業でした。



・教科書でない問題集を渡される。
・順に8問ぐらい宿題が出される。
・出席番号順に、生徒が黒板に
 1題ずつ書き写しておく。
(40問に一回、黒板に書くわけです)
・数学の先生が、
 「よし、これでよい」
 「ここがポイントだ」
 と言う。
・終わる。


そして、最後に決まり文句の
「分からないときは、解説をみなさい。」


(O.O;)(o。o;)?


でも、その解説本のどこをみるとこの問題がとけるのかわからん。


せめて、詳しい解説と答えが添付した問題集にしてくれよ。


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思い出話 | 2007-03-10(Sat) 10:49:30 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

わたしを導いてくれた先生たち その2

わたしを導いてくれた先生たち その1 の前の話


わたしの小学校時代の教員は、
戦中・戦後を生きてきた人ばかりです。


何年前に開催されたのかは知りませんが、
国体選手確保の影響で年度ごとの採用者数に大きく差があり、
団塊の世代の人たちが少なく、
ちょっと奇妙な職場だったのではないでしょうか。
「若い先生」が皆無で、中年ならまだましといった、
お爺ちゃんお婆ちゃんばかりだったのです。
年齢に文句を言ってもしかたのないことですが、バランスが悪い。


例えば、
・左手で鉛筆を持つと鞭で叩く。
・名前を呼ばれた子どもが、思わず
 『はい、はい』
 と返事をすると頬を平手撃ちする。
・授業中に体操ズボンをはいている子を見つけたら、
 教壇の上で脱がせ、下着一枚にさせる。
・女子の悪口を言った男子には、
 問答無用で拳骨をくらわせる。
・女子の筆箱が壊れていたら
 『こんなことするのは男子だけだ』
 と言って男子全員ナックルパートをくらわせる。
・逆に、授業中にマンガ読もうが、暴れようが、
 何ら注意すらしない平等大好き先生。


などといった理解しがたい言動をとる大人が多かったのです。
兎に角、今時は知りませんが、
当時のいい大人や年寄りは陰湿な人が多い。
そして、皆が皆、そうだったわけではないですが、
大人のそんな言動を当然視していた子ども時代でした。


そんな中で、大好きで、
信頼できる大人が1人いました。


4年生の担任の先生だったのですが、
まぁ、子どもが好きになる先生ですからおきまりのパターンです。。。。


・授業中に、外をみていると思ったら、ふいに
 「散歩に行こう」
 と校舎の周囲を歩きながら、植物の話をする。
 たまに、校長先生も飛び入り参加していました。
 この校長先生は、後に分かったのですが、
 生物・植物学の権威だった
・8マスの漢字練習帳にかけという。
・できない奴を絶対にけなさないけど
 フォローが厳しく怖く、克服させる
・教室でスパスパ煙草をすう。(*´艸`)ぷぷ
・体育は相撲ばっかり(やってた気がする)
・土曜日は、学級でお楽しみ集会
・見た目が、モロ、のっぽさん
・大晦日~正月まで24時間ウォーキングをしていたらしい。


でも、しかるときは大迫力で、
周囲も立ちすくんでしまうのです。
俗に言う「怒ると怖い先生」でした。
しかし、他の大人と違って、此方が疑問に思うこともなく、
理不尽な言動もなく、悪いことをしたら、
そのことをきっちり叱られるというのが、
なんとなく分かっていたのだと思います。


ところで、その先生が好きだったのですが、
わたしが食いついたのは、妙な所です。


ゴム消し版がやたら上手い!


自分の頭文字をあしらった印を消しゴムで作っているのですが、
子どもの目にみてもわかる精巧、秀逸。
他の追随を許さぬことが一目瞭然。
その印が押されるのを見たさに、
4年生の時だけは、毎日漢字を書き、
急いで担任の先生の側に行き、印をせがみました。


正直言って、この先生が
「指導力がある先生」
だったのかどうかはわかりません。



わたしは、
理科の授業で、学校の植物を観察してまわるときには、
いつも4年生の頃を思い出します。


思い出に浸っているわけではないのですが、
植物の名前や由来を
(即座に答えられないので予習しておいて)
教える口調は、恩師のもったいつけた話し方を真似してます。


でも、あの楽しさには到底かなわない。
また、相撲の技も上手に教えることが出来ない。
なんとか、市民ランナーになってマラソンはしていますが。。。。




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思い出話 | 2007-03-09(Fri) 16:17:53 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

わたしを導いてくれた先生たち その1

  中学生の頃、どうしても国語担当の人の授業を受け入れることができませんでした。文芸作品での人物の心情の読み取りが、納得できなかったからです。また、何か気にくわないことがあると、チョークを寝せて持ち、ゴシック体風の文字で大きく「心」と書いては、観念的で難解な説教を唱える数学の爺さんも苦手でした。その爺さんときたら、修学旅行のオリエンテーションで、


「旅行先でぇ、他校の生徒とぉ、トラを起こさないようにぃ」


と言うものだから、可笑しくって笑いながら




「先生、旅行だからトラベルしてもいいんじゃないですか?」


と、集団の誰かが、ちょっとお洒落に場を和ませてると、馬鹿にされたと思ったらしく、特製のムチを2~3発おみまいしていました。暴力団の報復行為と体罰は何ら違いはありません。




  英語担当など、同じ人間とは思えない人で、どうしても「6」の発音と「性別や性行為そのものを表す英語」の発音が同じに聞こえます。学校帰りに小料理屋に直行し、明け方には、その店から学校へ向かっていた人です。怒ると、いつも黒板にひびをいれていました。はやくだれかに刺し殺されないかなぁって心待ちにしていたのですが、その順番は回ってこなかったようです。



  また、次の年の英語を教えていた人は、依怙贔屓をする人でした。なんたることか、わたしを依怙贔屓するのです。同じことをしても一人だけ叱られない人のばつの悪さを教えてくれました。感謝しています。




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思い出話 | 2007-03-07(Wed) 21:48:50 | トラックバック:(0) | コメント:(0)

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